title moon

1.「はじまり」と「とりくみ」

大阪には魅力的な空間がたくさん埋もれている。
多くの方が指摘されていますが、個人的にもそう感じてきました。
都市は「壊して作る」から、今あるものを「使う」「活かす」の時代に変わりつつあります。
大阪にも活用されるべき優れた空間がたくさんあるように思います。
藤田邸跡公園は、大阪経済の基礎を築いた実業家、藤田伝三郎男爵とその子息の邸宅跡です。
昭和20(1945)年の大阪大空襲によって邸宅は焼失し、庭園も長年忘れ去られていました。
平成16(2004)年、その邸宅跡と庭園遺構が、学術調査と現代の造園技術によって修復・復元され、
毛馬桜之宮公園の一部として再整備されました。
しかし、残念ながら知名度が低く、来園者がまだまだ少ない現状です。
この貴重な明治~昭和初期の歴史遺産を活用して、その空間に相応しいイベントができないか。
それによって多くの方が藤田邸跡を知って下さるのではないか。
それは大阪の魅力アップに繋がる取り組みになるのではと思ったのです。
そして「中秋の名月の夜に藤田邸跡公園で音楽と灯りを楽しむ」という企画を立ち上げました。
わたしたちは、普段は行政からの委託で業務を行う立場ですが、
今回は行政発信ではなく、市民としての目線から取り組んでみよう、そう考え、
そのために非営利団体を設立しました。
観月会を無料イベントとして実施するために、企業協賛を募り、協力して下さる賛同者を探しました。
時間がない中、お金や智慧を集めることは容易ではありませんでしたが、多くの企業や団体が協賛、
協力を快諾して下さいました。
そして、アーチストやあかりの専門家なども低予算でご協力を申し出て下さいました。
藤田邸跡公園は、通常16時に閉園しています。
したがって、今回が初めての夜間利用ということになり、安全面や制度面で様々な問題がありました。
それらをクリアする為に、様々な資料をつくり、何度も協議を行って不安要素を減らしてゆく過程が必要でした。
関係者の皆さんのご理解とご協力にあらためて感謝する次第です。
企画の立ち上げは6月。
当日までの3ヶ月が慌ただしく過ぎて行きました。


2. 月明かりの下で

2005年9月18日。晴天に恵まれて旧暦8月15日がやってきました。
園内にはヒガンバナ。残暑厳しく、前日の雨で蒸し蒸しする夕暮れ。
でも日が沈めば川からの風が心地よい夕べでした。
月見にはススキ、ということで、奈良で調達したススキを園内の要所に飾りつけました。
団子のかわりに徳島産のスダチもお供えしました。
開門を待つお客様の数は予想以上でした。
多くのお客様が入場まで列を作って待っておられました。

午後5時30分 開門。
オープニングトークは藤田邸跡公園史から。
軽妙な話術で、失われた藤田邸の屋敷と庭園、その時代の風景へとお客様をお誘いしました。
例えば「皆さんお座りの場所には、かつてビリヤード室があったんですよ」という具合に。
ジャズライブは、在阪のフレンチジャズバンド、「ミュゼット・ジャズ・バンド」。
主催者は、この庭園で、月の下でこのバンドを聞いてみたいと強く願っていました。
しかし、屋外で背景もなく湿度は高い。音響調整も難しい。
アコースティック楽器を演奏する彼らにとっては過酷な環境でした。
にもかかわらず、その状況をものともしない本当に素晴らしい演奏を聞かせて下さいました。
ボタンアコーディオンとウッドベース、そしてマカフェリギターの即興的なスウィング。
しなやかな音楽が庭園の木々を超えて夕空にすいこまれてゆく至福の瞬間。
そして、その音を受けて空の色がかわってゆく・・・・。
まるで、そんなマジックが起こっているように思えたのです。

1回目のライブが終了して休憩時間に入って約10分後。午後6時58分頃。
お月様がわたしたちの前にお顔を出してくれました。
OBPのビルの間から、まるでこの日の為に特別あつらえたとでもいうような
飛び切りの巨大なオレンジ色の輝きでした。この時、歓声と拍手が沸きました。

日が沈み月が昇ると、ライトアップが際だちます。
あかりの演出は、手づくりの照明を普及している「照明塾」の橋田裕司塾長にお願いしました。
当日は「照明塾」門下の方々が集まって作品を持ち寄って下さいました。
手づくりのあかりが一堂に会した様子は、さながら「あかりのパーティー」のようでした。
橋田先生いわく「月は究極の間接照明」。
庭園という舞台で優しいあかりと月光のゆらぎのコラボレーション。
都市の中に現実を忘れる幻想的な光の空間が出現しました。
20代の若い世代が中心になって結成された「大大阪社交界」
彼らの活動コンセプトは「古き良き大大阪時代をおしゃれに演出しよう」。
今回は晴れ着でのお月見参加を実現させました。
レンタル着物などで一般の方々も晴れ着で参加され、雰囲気を華やかにしてくれました。
「お月見カフェ」では、ビール、ワイン、ジンジャーエールなどの飲み物とお月見団子を販売しました。
なかなか売れなかったお団子でしたが、月が出ると同時に売れはじめたのはオドロキでした。

藤田邸跡には、明治期の庭園の石組みが残されています。
これを照明設備でライトアップして、遺構再生の設計に関与した技術者がお客様を案内しました。
名付けて「遺構ライトアップツアー」
浮かび上がった幻の庭園に対して、お客様の関心は非常に高く多くの方が説明を求められました。
気に入って何度も遺構を見学に来られる方もいらっしゃいました。

2回のライブがスタートしたのは8時過ぎ。
終演は午後8時50分ごろでした。
月は南の空に高く美しく輝いていました。
お供えのスダチは終演後にお客様にお裾分けしました。
ススキも希望の方にはおみやげにしていただき、どちらも大変喜んで頂きました。
ほっとする間もなく会場の撤収。
暗い暗い会場での後かたづけは予想以上に大変でした。
午後9時半。スタッフは会場を後に。
翌日朝、念のため会場の掃除に来ましたが、ごみの散乱や施設の傷みなどは全くなく、
藤田邸跡のどこも傷めずに、汚しもせずに市へお返しできました。


3. 観月会を終えて

いったいどのくらいのお客様がお見えになるのだろうか?
事前の来客数予測は困難でしたが、一応200名と仮定し配布アンケートを350部用意しました。
終演後に余ったアンケートを数えれば、ある程度正確な来客数がわかるだろうと。
ところが蓋を開けてみれば、天候に恵まれて予想以上のお客様がお見えになり、
用意したアンケートはあっという間になくなり、その後も途切れることない入場者。
おそらく、前々日に産経新聞が記事にして下さった影響が大きかったのでしょう。
ということで正確な来場者数を把握できていません。
間違いのない範囲で公式来場者数は400人としました。
限られたスペースで予想以上の来客数でしたので、会場はややオーバーユース気味でしたが、
なんとか大きな混乱も事故、事件もなく無事に終えることができました。
ひとえに公園管理事務所の方々や市長公館、公園愛護会の方などのご努力のおかげです。
そして、本当にマナーの良いお客様ばかりでした。
ごみの散乱もなく、乱暴な酔客もなく、公園施設の損壊もありませんでした。

今回、ワタシたちは特別なものを作ったわけではありません。
藤田邸跡公園は以前からそこにあるものだし満月は毎月巡ってきます。
お月見なんてしたことないという人が多いのでしょうが、やってみるとなかなか良いモノでした。
当日まで、丸くなって行く月を毎晩眺めるという行為も楽しいモノでした。
都市の中でも自然のサイクルを感じるということは非常に大切だと実感しました。
都市生活の中で、そういうコトに気づく、そして楽しんでみるという気持ちが大切なのだと感じました。
音楽や灯りの楽しみについても同じ。
決して特別なものではなく、身近にあるべきものだし、身近に楽しめる。
それが都市生活の良さではないかと思います。
お客様が、都心の非日常空間の中で感じた「何か」を、日常の楽しみに持ち帰って下さったらとても
嬉しく思います。
この次があれば在阪の外国人の方々やツーリストにも見てもらえたらと思います。

参加人数: 約400名
実行経費: 817,000円 (収支報告書)
ブログ「名庭にて月は吠える


付記. アンケート結果など

当日配布したアンケートの集計はこちらをご覧下さい。(アンケート用紙・集計など)
概ね好評といって良いかと思います。
藤田邸跡の認知度と知名度を上げる、それが、この観月会の大きなねらいでした。
アンケートでは、藤田邸跡について「全く知らなかった」という回答が半数を超えていました。
この点は事前の予想通りの結果でした。
はじめての方を多く誘致できたのですから、当初の目的を果たせたと評価できます。
また、インターネット上での「藤田邸跡」の検索ヒット数を見ると、観月会企画前の28件(5月末)から、
開催後の211件(9月末)と急増。
一時的とはいえ波及効果が数字に表れています。
主催者のHPへのアクセス数も観月会前日は70人と大きく伸びました。
当日の催しの中では、藤田邸に関するトークや、配布物、スタッフによる遺構のガイドなど、藤田邸跡
に関する説明をいろいろな形で行いました。
実際に来られた方に対して、藤田邸庭園遺構や藤田男爵の時代について理解を深めることができた
のではないかと考えています。

お客様の満足度を数値的に測る術はありませんが、多くの方が、都会の真ん中で、満月の下、ゆった
りとした時間と空間を楽しんで下さったのではないでしょうか。